下関はまつりで人・人・人の波!

下関海峡まつり本番・・・赤間神宮から唐戸市場・海響館(水族館)・あるかポートの唐戸地区は人の波で移動するのも大変な状態です。 唐戸市場内の息子の店に行くのも一苦労。足の踏み場もない状態で孫を連れて直ぐ側の亀山八幡宮にお参りして帰宅・・疲れた!!
唐戸市場 亀山八幡宮 夜の赤間神宮
亀山八幡宮は平安時代の貞観元年(859)大安寺の行教和尚が、京都鎮護のために八幡大神を宇佐から岩清水に勧請の途中、赤間関 南岸の亀山のふもとに船をつないだ折、神のお告げよって仮殿を造ったのに始まるとされています。今も亀山八幡宮は関の氏神様として信仰されています。半世紀ほど前、馬関(下関の古称)開発のため、亀山八幡宮の周りの海を埋め立てることになりましたが関門海峡の流れは激しく、積んだ土俵もすぐに流されて、工事は難航しました。困った役人は、関門海峡の流れを鎮めるための、人柱を募りました。当時、この辺りには、稲荷町、裏町という花街があり、お亀という売れない遊女がいました。お亀は、幼い頃にかかった天然痘のせいで、あばたが顔に残り、人気がなかったのです。お亀は、このまま生きて身を汚すより、自分の命が役に立つならばと、自ら人柱となって海に身を投げました。その後、海峡の流れは緩やかになって、埋立工事は無事終了し、埋立によってできた土地は、広さが八丁(約8万㎡)あったことから、八丁浜(はっちょうはま)と呼ばれるようなりました。人々はお亀さんの功績をたたえ、亀山神社の境内に記念の銀杏の木を植えました。木は年輪を重ねて名木となり、『お亀銀杏』と呼ばれるようになりました。そして八丁浜ができた事を祝い、五穀祭では「八丁浜えらやっちゃ~」と唄って踊る、八丁浜踊りが始まりました。「えらやっちゃ(偉いやっちゃ)」とは、お亀さんの功績をたたえての唄です。
いつしか博多のどんたくにお株を奪われてしまいましたが、杓文字を打ち鳴らしがら「ぼんち可愛いやねんねしな~」と唄って踊る踊りは、この下関が発祥の地です。ご存知でしたか?