河豚(ふく)の美味しい季節になりました(^O^)

ふぐの季節到来!!
ふくの旬は寒い季節が美味しく、特に産卵期前の2月頃には身も白子も充実していて絶品です。
この頃は、ふぐ料理の脇役の青ねぎも美味しい時期ですしポン酢も美味しくなります!
日本一のふぐの本場下関ではふぐと濁らず『ふく』と呼んでいます。
これは“福”というように縁起を担いでいます。また、「ふぐ」というのは“不具や不遇”と縁起が悪い言葉に通じるからです。
さて、ふくは何時頃から食べられていたのか・・・なんと6000年も前から食べられていたのです。
6000年前と言えば縄文時代です。下関の安岡にある潮待貝塚'(約2500年前)からもふくの骨や雲丹の殻が発掘されています。下関のふく・うにの歴史は古代から・・・引き継がれてきた訳ですネ。
ところが、豊臣秀吉が、朝鮮に出兵するのに、途中立ち寄った下関辺りで、家来がふぐを食べたため、多数死んでしまい、秀吉は家来にふぐを食べないよう、禁止令を出した。その後、江戸時代もずっと禁止されていました。特に武家はふくを食べて死んだらお家断絶になったそうです。
では、ふくの毒とは・・・
フグの毒は「テトロドトキシン」と言います。これは加熱しても無くなる事無く、神経や筋肉を麻痺させてしまうとても強力な毒です。青酸カリの1000倍以上ともいわれています。
ふぐの種類や季節によっても違いますが、卵巣や肝臓・皮膚などに含まれていることが多いです。
素人では、ふぐの調理は危険ですので「ふぐ処理師免許」という資格が必要なんですね。
さて、ふぐの禁止令が解かれたのは・・・・
明治になってもこの禁止令は適用されて居ました。明治27年、8月の日清戦争が日本大勝利のもとに終結して、当時の総理大臣 伊藤博文公爵と敵方の全権大使、李鴻詳と下関の春帆楼において講話談判が行われ、その宴席に海が時化(しけ)の日続き、魚が全然なかったらしいです。
「下関に来て魚がないとは・・・」というように女将に皮肉ったそうです。死罪を覚悟で女将が禁止とされていたふぐを出した所「こんなに美味しいものを食べない手はない」と、山口県の県令に命じて、禁止令をといたそうです。
しかし、禁止令が解かれたのはその時山口県だけで、全国の地域でそれぞれ禁止令が解かれるようになったのは戦後のことです。このことがあり「ふぐは山口県下関」といわれるようになったのです。下関のふくの処理技術は日本一です。・・・如何でしたか? 下関のふくのお話・・・・本場のとらふくを是非食べてください。(^O^)

とらふく刺身(菊盛)とらふく刺身は料理人の最高の技術とふくの身の持つ本来の旨みを引き出す最高の芸術です。
また、ふくの栄養素は高タンパク・低カロリーで、身には旨味成分(グルタミン酸・イノシン酸)を多く含んでいます。
また、タウリンが多く、血管・心肺機能の強化・動脈硬化・高血圧の改善に効果・さらに背中の黒い部分にはセレンを多く含み抗ガン作用や免疫機能を高めたり、抗酸化の働きをします。
ふくの皮には多くのコラーゲンを含んでいますので【ふくは美容と健康に最適!】

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