下関が生んだ世界的オペラ歌手とは・・・・

今回は下関が生んだオペラ歌手『藤原義江』についてご紹介しま~す。

下関には世界的オペラ歌手藤原義江の記念館が唐戸市場の近くの、関門海峡を見下ろす小高い丘にあり、緑に囲まれた紅葉館と呼ばれるモダンな洋館です。
藤原義江記念館 この建物は英国系商社ホーム・リンガー商会の社長令息のために建てられた住宅でした。
1978(昭和53)年から藤原義江の記念館になりました。

現在、記念館の管理運営を私と同じ、下関北ロータリークラブのメンバーの大司 さんの奥様がされています。

藤原義江藤原義江は、英国人ネール・ブロディ・リードと琵琶芸者坂田キクとの間に生まれました。
父リードは当時貿易がさかんだった下関で仕事をする貿易商であり、外交官の役割もしていました。
家庭の事情で九州各地を転々としました。小さな頃から住み込みで働かされたり、混血児としていじめられたりする中、近所では評判のわんぱく坊主でした。

父の援助により、東京の有名私立中学に編入学しましたが、どうにもいたずらの度が過ぎるため転校させられたこともあります。その後も生来の腕白さを発揮して学校を転々としました。
琵琶芸者であった母の血筋を受けたのでしようか、小さい頃から声が良くとおると言われていた義江は歌手になることをこころざします。
そして単身でイタリアに渡り、オペラ歌手としての勉強をするのです。
海外で日本を代表する歌手として認められた義江は、帰国後、それまで本格的なオペラのなかった日本に藤原歌劇団を設立し、基礎を作ると共に振興に尽力しました。
そして終生「われらのテナー」と愛称され親しまれました。

また、下関市出身の作家、古川薫さんが書いた『漂泊者のアリア』は藤原義江を主人公にした物語です。
この作品は、1990年、第104回直木賞を受賞しました。
藤原記念館の写真 gipsypapaさんのページ