下関は名所・旧跡の宝庫・・・・・!!

下関は名所・旧跡の宝庫です。
以前にもブログで紹介しましたが自由に見れる国宝が2か所。
縄文時代の遺跡・源平の戦いの終焉の地・大内氏・毛利氏の栄枯盛衰・巌流島の決闘・明治維新・・・数え切れない程の遺跡が至る所にあるのですが・・・・多すぎて、宝の持ち腐れ!!
点を線にそして面に・・・ルートづくりを考えたら素晴らしい観光遺産なのに(+o+)

長府 功山寺◆功山寺・・1320年(元応2)に創建された古刹。
仏殿(国宝)は鎌倉期のもので、わが国最古の唐様禅宗式建築で、毛利元就に追われた大内義長はここで自刃した場所です。
幕末には京都を追われた三条実美等五卿が潜居していた寺で、高杉晋作が倒幕を目指して奇兵隊を結成し、決起した地としても知られています。
境内には馬上姿の晋作像が立ち、春の桜、秋の紅葉が美しい所です。

住吉神社-1◆住吉神社・・神功[じんぐう]皇后の創建と伝わる長門一の宮。
大内弘世造営の9間社流造り本殿(国宝)や毛利元就造営の拝殿(重要文化財)などがあります。
表筒男命・中筒男命・底筒男命の住吉三神などが祀られています。

さて、日本のふく料理公許第1号の春帆楼は・・・・・!!
関門海峡を一望出来るふく料理公許第1号の春帆楼で日清戦争の終結に伴い下関市(旧赤間関市)の講和会談が開催されたの知ってますか?
明治21年、内閣総理大臣・伊藤博文が春帆楼でフグ料理を食べたのを契機に、豊臣時代以降のご禁制が解かれ、ふく料理公許第1号となったことは以前にもブログに掲載しましたが明治28年4月、日清講和条約(下関条約)の会場となった老舗の割烹旅館春帆楼は歴史的にも有名で、その時、会議で使われた調度品がそのまま日清講和記念館に保存されています。

明治28(1895)年4月17日、伊藤博文首相・陸奥宗光外相の日本全権大使と、清国講和全権大使 李鴻章・李経芳が、日清講和会議の結果、調印した日清戦争の戦後処理に関する講和条約は一般には調印地の名を採って「下関条約」あるいは「馬関条約」と呼ばれています。
中国語では現在でも「馬關條約」と言われています。
日清戦争とは、明治27(1894)年、朝鮮半島において「甲午農民戦争」(東学党の乱)が勃発した際、「宗主国」の清国が朝鮮半島へ出兵。
これに対して、日本も在留邦人の保護を名目に出兵し、朝鮮半島に於いて日清両軍が対峙する形となり、その後、同年7月の豊島沖海戦を経て、8月1日に宣戦布告し、「日清戦争」(支那側は「甲午戦争」と称す)が勃発1895年(明治28年)4月にかけて行われた戦争です。
日本での正式名称は明治二十七八年戦役(めいじにじゅうしちはちねん せんえき)。

春帆楼正面玄関日清講和記念館日清講和記念館-会談調度品日清講和会談風景

下関は源平の時代から明治そして・・・・・時代の節目・節目の大きな波に登場しています。
これからも少しずつ紹介していきたいと思います。