集え 下関へ

下関のご当地検定がついに登場!

下関の食・歴史・文化など「下関通」を検定する試験が2月15日に行われます。

下関・・歴史文化検定下関の食・文化・歴史等幅広い範囲の問題が出題されますヨ。・・・明治維新に活躍した人々が下関を起点に世の中を変える活動をした人物に対する問題なども出されます。
その中の問題をひとつ・・・・

Q 伊藤家は江戸時代の下関で西の佐甲家とともに東の本陣をつとめ、大年寄として町政にも参画した家です。特に、江戸時代後半、伊藤杢之允、杢助(静斎)、九三(助太夫)の三代当主は、歴史の裏方として重要な役割を果たしています。オランダ商館一行のシーボルトや吉田松陰との交友もありました。
幕末には薩摩藩と長州藩を結びつけた維新の志士が伊藤家を妻とともに宿所にしていました。この維新の志士は誰でしょうか?
このような問題が出されます。

答えは?・・・①木戸孝允②高杉晋作③伊藤博文④坂本龍馬⑤西郷隆盛から選んで・・・

薩摩藩と長州藩の同盟を策して奔走する○○○○は下関を往来するにあたり、白石正一郎邸と伊藤邸を宿としていました。
特に、慶応2年(1866)の第2次長州征伐小倉口の戦いでは伊藤家に止宿して土佐海援隊を指揮、高杉晋作を助けて海峡に戦いました。また、慶応3年2月には、伊藤家を宿所とし、その居に「自然堂」の額を掲げて商務の拠点とするばかりではなく、同じ月の10日には妻のお龍を伴い、以後伊藤家に預けます。そしてお龍は同年11月15日の龍馬遭難の悲報を伊藤家において聞くことになります。・・・・答えは④坂本龍馬です。