下関発・・・女流俳人とは?

日で3月も終わり、明日から新年度・・・我が家の桜も満開になりました。(^^♪

さくら例年より早い桜の満開ですが、桜を眺めていると旅に出たくなります。

そこで今日は江戸時代の女流俳人として、加賀の千代女と並び称される下関が輩出した旅する女流俳人・・・田上菊舎を紹介しますネ!!

田上菊舎は、長府藩士田上由永の長女として生まれ、16歳のときに田耕村(現在の下関市豊北町田耕)の裕福な農家、村田家に嫁ぎましたが、24歳の若さで夫と死別しました。
28歳で出家し、夫の菩提を弔うとともに、俳諧の道を求めようと修行の旅に出ました。
最初の旅は4年にもわたり、京都から北陸を回って江戸へ上るというものでした。
これを皮切りに九州、京都、江戸、東北へまで旅をし、踏破した距離は実に27,000kmにも及ぶといわれています。
菊舎が句作活動を行った江戸時代後期の文化・文政期は、松尾芭蕉以来低迷していた俳諧が、与謝蕪村によって再び脚光を浴びた時期です。
そして、町人による文化が栄えた時期でもあります。
しかし、一方では厳しい封建社会であり、女性が芸術の世界に身を置いたり、旅に出たりということは考えられない時代でした。
このような中で、菊舎は旅に出てたくさんの人と接することで、俳諧ばかりでなく、和歌、漢詩、書、絵、茶道なども究め、自らの才能を開花させました。

世界で高い評価を受けた菊舎
平成11年(1999)6月、イギリスのバークシャーで世界女性史会議が開かれ、70ヶ国2000名の人々が集まりました。
そこで、菊舎が紹介され、封建社会を生き抜いた女性ということで、世界でも高い評価を受けました。
菊舎の遺品が、下関市の豊浦小学校教育資料館に展示されています。

黄檗山万福寺句碑京都宇治の黄檗山万福寺の山門前に
『山門を出れば日本ぞ茶摘みうた』の句碑が立っています。

彼女の四月の作品を3点紹介します。
朝の間は笠を敷ての茶摘かな
水にうつる春のみどりや金閣寺
唄計にも雇るゝ茶摘かな

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