昨日、九州から東海地方は梅雨入り宣言
少雨では農作物に影響・・・雨が降らないといけないのは解っているけれど・・・・今朝からシトシトと雨模様で鬱陶しい一日でした。
あぁ~この時期になると高杉新作の墓所・・・東行庵の菖蒲を観に行きたくなりま~す。
東行庵の初代庵主梅処尼(ばいしょに)が好んだ花菖蒲100種約1万株が、池一面にいっせいに咲き誇り、6月のこの時期に見ごろを迎えます。
この時期にはお茶席や露店が設けられ、苗等の販売も行われます。
花菖蒲を眺めていたら心も安らぎま~す。(^O^)
少雨では農作物に影響・・・雨が降らないといけないのは解っているけれど・・・・今朝からシトシトと雨模様で鬱陶しい一日でした。
あぁ~この時期になると高杉新作の墓所・・・東行庵の菖蒲を観に行きたくなりま~す。
東行庵の初代庵主梅処尼(ばいしょに)が好んだ花菖蒲100種約1万株が、池一面にいっせいに咲き誇り、6月のこの時期に見ごろを迎えます。
この時期にはお茶席や露店が設けられ、苗等の販売も行われます。
花菖蒲を眺めていたら心も安らぎま~す。(^O^)
この地は清水山と称し幕末の頃奇兵隊軍監山縣狂介(有朋)は麓に草庵を建て無隣庵と名付けていた。
慶応三年(一八六七)四月、高杉晋作(東行)の遺言により遺骸を奇兵隊の本拠地に近いこの地に葬つた。
晋作に仕えていた愛人うの(後に谷梅処)は黒髪を断つて出家したので、山縣は明治二年(一八六九)無隣庵を梅処に贈り欧州に旅立った。
現在の庵は明治十七年伊藤博文・山縣有朋・井上馨等全国諸名士の寄付により建立されたもので、梅処は明治四十二年にその生涯を閉じるまで東行の菩提を弔った。
昭和四十一年東行の百年祭を機に庵の原型をとどめるため大修理を行った。
(東行庵の掲示板の説明)
明治維新への立役者高杉晋作の人となりを思い起こして、この混濁とした時代を乗り切るパワーを貰いたいと思います。