この団体は高杉晋作や白石正一郎など維新の志士の息吹を現代によみがえらせ、維新発祥の地・下関を国内外にアピールする活動を行っています。
その活動の一環として、関門海峡のすぐ傍アルカホート(水族館の隣)に青春交響の塔(水族館の隣接地)また、下関駅の近くにある竹崎公園(三角公園)に、風の預言者(高杉晋作と奇兵隊)の像等、維新の志士群像の建立や維新関連イベントの普及啓発及び開催等の事業をすすめています。
下関の唐戸に程近い、海沿いの一角に「青春交響の塔」と呼ばれる塔があります。
この写真の塔は、高杉晋作と坂本龍馬の友好を記念して、平成15年に作成されたものです。
今回は維新を陰で支えた下関の豪商、白石正一郎と高杉晋作の奇兵隊について少~し紹介しま~す。
白石正一郎は、回船問屋小倉屋の主人として実業にたずさわるかたわら、国学に深い関心を持ち、43歳の頃 国学者 鈴木重開(すずき しげたね)の門下に入って、尊王攘夷論の熱心な信奉者となり、長州藩の高杉晋作、久坂玄瑞らを資金面で援助していました。
土佐藩を脱藩した坂本龍馬なども一時、白石邸に身を寄せていた。白石邸は志士たちに開かれて、交流、集会の場となり、明治天皇の叔父にあたる 中山忠光や、三条実美ら六卿、野村望東尼なども滞在しました。
六卿の1人 錦小路頼徳(にしきこうじ よりのり)は、下関に到着後 病に倒れ、この白石邸で息を引き取りました。
白石正一郎自身も奇兵隊結成と同時に入隊し、陰の力となって資金面から志士たちを支えました。
しかし、そのために、晩年 店は傾いたといいます。
写真は白石正一郎の旧宅跡です。
奇兵隊は結成以後、白石邸に寄宿していましたが、すぐに隊員が増えて手狭になったため、阿弥陀寺(現 赤間神宮)へ屯所を移しましたが、奇兵隊の発祥の地は白石邸と言うことになります。
奇兵隊が編成されたのは、長州藩が関門海峡での外国船打ち払いをし、四国連合艦隊に逆に報復を受け被害をこうむったため、下関の台場の立て直しを高杉晋作に命じ、文久3年(1863)6月に、藩命により下関に訪れた高杉晋作と白石正一郎の話し合いにより、この白石邸において、新しい戦力としての有志隊、すなわち『奇兵隊』が結成をされました。
身分を問わない有志隊として組織された戦力で、藩の正規兵に対する非正規兵、「正」に対して「奇」の兵隊と言うことで、奇兵隊の名がつけられました。
高杉晋作は今年で生誕170年の節目で、8月20日に風の預言者(高杉晋作と奇兵隊)の像が建立されました。
下関には明治維新へ向けて、若い志士達の活動拠点として活動した多くの史跡が残っています。・・・・ゆっくり時間をかけて散策されると・・・パワーを貰えるかも???
明治維新を成し遂げた若き志士達の国を思う情熱と行動力は現代の混沌とした世の中で、もう一度振り返ってみる価値があるのでは・・・・うぅ~ん・・小生、チョット歳を取り過ぎたかな???