下関出身の女優”小暮実千代”を思い出した!!

2月21日の日曜日2009-2010年度国際ロータリー第2710地区グループ1のインターシティミーティング(IM)が下関のシーモールパレスで開催されました。
2月に入って慌ただしい毎日の連続でブログを書くことが出来なくて・・・(T_T)
ロータリーも出席出来ない状態でしたが日曜日の行事と言う事で出席しました。
しかし、昨日も午前中は仕事をして開会の時間ギリギリに滑り込みセーフ!!
アサヒビール大逆転 セレモニーの後、作家の藤沢麻彌子さんの基調講演・・彼女はアサヒビールの100年誌の編纂に参加し、その後アサヒビールのどん底時代からキリンビールを抜いて業界トップに躍り出る血の滲むような男達の生きざまを書き綴った作家で、この混沌とした時代にタイムリーな講師でした。
また、現在下関出身の女優・・故小暮実千代さんの生涯を世に伝えたいと、執筆の準備をされていると話され、小生が子供の頃、小暮実千代が先帝祭の上臈道中に出てたのを思い出しました。
また、スライドを交え彼女の女優以外の顔を紹介され、我々のロータリー活動と小暮実千代のボランティア活動の共通項を感じ、興味を抱きました。

小暮実千代 小暮実千代は下関市彦島福浦町出身で、クリスチャンの学校・・梅光女学院を経て日本大学芸術学部に入学し、在学中の1938年、松竹に入社。
入社当時は高峰三枝子、桑野通子、水戸光子らそうそうたる女優が幹部でありましたが、1年余りで準幹部から幹部に昇進。
日本人離れしたルックスとスタイルに加え、悩殺的でコケティッシュな色気もあり、純情可憐型が主流の松竹では恋敵や悪女役が多かったとのことで、そのため、女性ファンからは敬遠されましたが、学生や若いサラリーマンなど男性ファンには根強い人気があったようです。
後年は女優業の傍ら、ボランティア活動にも熱心であり、1957年に群馬県にある「鐘の鳴る丘少年の家」の後援会長に就任。
日本で初めて赤ちゃんポストを作ったとのことです。
1973年からは法務大臣認定の保護司となり、 1980年には日本中国留学生研修生援護協会常任理事になり、中国留学生を自宅に寄宿させるなど、ボランティア活動を一生涯続けたとのことです。
1990年6月13日、心不全のため死去、享年73歳でした。
役柄のイメージとは異なり、実生活では良妻賢母としても知られていました。
大女優田中絹代・小暮実千代が育つ土壌が・・・下関には??
また、昨日はしものせき映画祭期間中でオープンしたばかりの下関市立近代先人顕彰館 田中絹代ぶんか館のイベント参加と、トークショー出演の為、女優かたせ梨乃が下関を訪れ”芸術の街しものせき”を盛り上げてくれました。
残念ながら映画祭を観る時間はなかったですが、久しぶりに仕事から離れてゆっくりした日曜日となりました。