兄の見舞いと・・功山寺で癒しタイム!!

兄の見舞いに始めて新築された関門医療センターに・・「え~これが病院か」と思わせるような病院にビックリ。
正面玄関の側にはパン屋さんが・・2階にはアルコールもОKというレストランが・・また、そこからの眺望は関門海峡がパノラマ状態。
「高度先駆的な医療サービス」を掲げながらも、病院臭のない、生活感あふれる空間を強調した「新時代の病院のあり方を示したい」という全国的にも注目のユニークな施設にまたまた、ビックリ!!
関門医療センター-1 下関の中央の地区にあった古めかしい旧国立下関病院から全面移転で、長府外浦町のマリンホテル横に完成した。「総合病院は日ごろの生活の延長として使ってもらう時代にと、元気になってもらう健康応援病院」が運営理念だとのこと。
1階から7階まで、北九州の画家の作品が展示され、病院と言うよりは美術館の雰囲気・・心が癒される!!
駐車場も広く五百台収容で、旧施設とは雲泥の差でした。
関門医療-2兄の病室は6階・・部屋も明るく広々として、1年前入院していた旧関門医療センターの病室とは・・・
兄の病状が気になりますが医師にお任せするしかないので、頑張って治療に専念するよう・・ハッパを掛けるのみでした。
いくら素晴らしい設備の病院でも、病気では・・(T_T)
早く治ってくれることを祈りつつ、病室を後にしました。
久しぶりに長府の町に来たので、チョット功山寺に立ち寄りました。
紅葉が有名な功山寺ですが、新緑が眩しく映える功山寺も良いな~(^^♪
功山寺山門功山寺本堂
功山寺山門と国宝功山寺本堂を見ながら暫し、癒しタイム。
この功山寺は曹洞宗の寺院で、嘉暦二年(一三二七)の創建。
当初は臨済宗で金山長福寺と称し、足利氏、厚東氏、大内氏など武門の尊敬あつく隆盛を誇ったが、弘治三年(一五五七)大内義長がここに自刃、この戦乱によって一時堂宇の荒廃し、その後、慶長七年(一六〇二)長府藩祖毛利秀元が修営、旧観に復し、曹洞宗に転宗しました。
二代藩主光広が、秀元公の霊位をこの寺に安置して以来、長府毛利家の菩提寺となり、秀元の法号、智門寺殿功山玄誉大居士にちなんで功山寺と改称した。
現在の仏殿は、元応二年(一三二〇)の建立で典型的な鎌倉期禅宗様式として国宝に指定、十代藩主匡芳の時、当地工匠の作による山門は市指定文化財となっています。

また、幕末の志士高杉晋作が挙兵した場所としても有名な所です。
長州藩がどんどん幕府寄りになっていく状況の中、高杉晋作は、 いまこそ行動をおこすときだと判断し、諸隊をまわり、「兵を挙げて幕府寄りの俗論党と闘おう」と説得してまわりました。
すぐにその説得に応じてくれたのは、遊撃隊と力士隊のふたつだけ、 約80名という小さな兵力ではありましたが、晋作には、いずれは他の諸隊も同調してくれるだろうという確信を持っていました。
そして約80名の兵は、長府の功山寺に集結しました。
まずは下関で長州藩の奉行所を襲撃、そして、三田尻で奇襲攻撃をしかけ、藩の軍艦3艇を強奪しました。
この活躍に他の諸隊も次々に同調、兵力はどんどん増えていき、2000人にも達する規模となりました。
大田絵堂の戦いを皮切りに、次々に正規軍と交戦し、勝利していきました。
約2ヶ月もの戦いの末、俗論党政権は追放され、藩政は討幕へと踏み出すことになりました。

明治維新に向け、大きく時代が動き始めた場所に立って、感慨に耽ってみるのも良いのでは!!