『龍馬伝』の行方は・・・???

先週のNHK大河ドラマ『龍馬伝』で、長州藩と薩摩・会津の幕府連合軍による戦、禁門の変(蛤御門の変)や神戸海軍操練所が幕府の手で取り潰されてしまったことが放映されましたが、禁門の変の後に、前尾張藩主・徳川慶勝を総督、越前藩主・松平茂昭を副総督、薩摩藩士西郷隆盛を参謀に据えて『第一次長州征伐(長州戦争)』が断行されますが、総督参謀の西郷隆盛が、禁門の変の責任者である長州藩三家老(国司信濃・益田右衛門介・福原越後)の切腹、三条実美ら五卿の他藩への追放、山口城の破却を撤兵の条件として講和を結び終結し、これにより長州藩保守派が実権を握る事になりました。
功山寺山門⇓
功山寺-1 しかし、1865年(慶応元年)、長州藩では松下村塾出身の高杉晋作らが馬関の功山寺で挙兵して保守派を打倒するクーデターを起し、倒幕派政権を成立させました(元治の内乱)。
高杉らは西洋式軍制導入のため民兵を募って奇兵隊や長州藩諸隊を編成し、また 薩長同盟を通じてエンフィールド銃など新式兵器を入手し、大村益次郎の指導下で歩兵運用の転換など大規模な軍制改革を行って、第二次長州征伐に備えました。
功山寺本堂⇓
功山寺-3 この西洋式軍制に欠かせない軍備増強に、龍馬達が結成した亀山社中が関わり、薩摩藩から長州藩への武器提供と繋がり薩長同盟へと発展して行ったのです。
1866年(慶応2年)1月21日に、土佐藩の坂本龍馬・中岡慎太郎などが仲介者となって、京都小松清廉邸(京都市上京区)で西郷隆盛、大久保利通、薩摩藩家老・小松清廉(小松帯刀)と長州藩の木戸孝允(桂小五郎)が『倒幕・王政復古』を目的とする薩長同盟(薩長盟約)を結びました。
桂小五郎以外の長州藩士である高杉晋作・井上聞多・伊藤俊輔らも薩長同盟の成立に尊攘運動の期待を掛けていましたが、幕末で最大の実力を持つ二つの西南雄藩(薩摩藩・長州藩)が連合することによって倒幕と王政復古の実現が間近に迫ることになったのです。
民主党の菅総理は組閣にあたり、山口県出身との思いか?高杉晋作が作り上げた奇兵隊を模して、奇兵隊内閣と言っておられるようですが・・・明治維新へ向け『龍馬伝』の行方は長州・鹿児島・長崎が舞台となっていくのかな~???