♪ぽ~んちかわいや ねんねしな~ 品川女郎衆は十匁~・・・♪

昨日、今日と唐戸魚市場周辺で秋の唐戸まつりが開催されました。
秋晴れの天気ではありませんでしたがどうにか天気ももって無事終了しました。
その唐戸市場を見下ろす高台に亀山八幡宮があります。
その神社でのまつりでのお囃子は・・・・
♪ぽ~んちかわいや ねんねしな~ 品川女郎衆は十匁~・・・♪と言うお囃子を聞かれたことはありませんか?
今は「博多どんたく」のお囃子、と思っている方がほとんどでしょう。実はこのお囃子は、下関の亀山八幡宮の五穀祭に唄われたものなのです。
亀山八幡宮では5月に五穀豊穣を祈る五穀祭が行われます。その時に氏子中では、「八丁浜エラヤッチャ」と合いの手を入れながら、八丁浜の囃しに合わせ杓子を叩きシャギリ踊る、八丁浜(ハッチャハマ。八丁浜踊り、八丁浜シャギリともいう)が行われます。
「博多どんたく」にこの唄が使われ始めたのが、明治38年頃。
一方、「八丁浜踊り」の始まりははっきりしませんが、 慶長3年(1598年)頃亀山八幡宮前の海を埋め立てた時に、人柱となった「お亀さん」を慰めるために始まったようです。
その時の埋め立ての広さが八丁あったので、「八丁浜」の名前がついたそうです。
また「エラヤッチャ」とは、お亀さんは偉い奴だの意味です。
もちろん、歌詞からも判りますが今のお囃子は明治時代になってからの唄のようですので、その当時は違ったお囃子だったと思います。
明治になって使われ始めたこのお囃子が、明治20年代に下関の芸者さんが博多に移った際に一緒に伝わった、と言う説が一般的のようです。
他にも色々説はありますが、下関では「博多どんたく」のお囃子は下関がルーツだと言う事になっています。
また、江戸時代、毛利藩は派手な歌舞音曲や酒宴などを禁じていましたが、八丁浜の期間中は各所に「賑わい勝手」の高札が立てられどんなに騒いでも咎められることは無かったとのことです。
戦後この行事は衰退しましたが、昭和60年市民祭として開催されることになり、現在は5月のゴールデンウィークに開催される『しものせき海峡まつり』にあわせ賑やかに復活し継承されています。亀山八幡宮五穀祭写真参照↓
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