櫻山招魂場から晋作が叫んいでる!!

 

菅首相が「奇兵隊内閣」と名付けたことに対し、長州人である吾輩は違和感を感じる。
最近の政治家達は維新などの言葉を多用していますが、本当に国を憂い、国家の進むべき道や国民の為に活動する姿勢が全く見えない。
奇兵隊内閣を叫ぶのであれば今一度、吉田松陰や高杉晋作の精神を紐解いてみるのも・・・・
国民が大きな夢に向かって努力出来る環境を構築してくださ~い。
奇兵隊を結成した高杉晋作は国を憂い、平和な世の中に慣れてしまった武士だけでは、力にならないと感じていた晋作は、 身分に関係なく広く兵士を募集しました。
これは、吉田松陰の教えの中のひとつ、「草莽崛起(そうもうくっき)」という考え方によるものです。
「草莽崛起」とは、すべての人が身分に関係なく世の中をよくするために立ち上がろうという思想です。
吉田松陰の教えを忠実に受け継いだ高杉晋作は、奇兵隊の結成に草莽崛起の思想を取り入れたのです。
そして、白石正一郎は私財をなげうって、協力しました。
あぁ~今の政治家は・・・
さて、愚痴はこれぐらいにして・・・
下関には日本初の招魂社があることをご存知ですか?
桜山神社 招魂社(しょうこんしゃ)は明治維新前後から、また以降に国家のために殉難した英霊を奉祀した各地の神社で、東京招魂社は1879年(明治12年)靖国神社と改称されました。
地方の招魂社は1939年(昭和14年)護国神社と改称され、そういういきさつがあるので、明治末期になっても、靖国神社という名称よりも、招魂社という名で庶民には親しまれていた。
日本初の招魂社は櫻山招魂場(現・櫻山神社、慶応元年(1865年)8月、山口県下関市)です。
招魂社-C 桜山神社招魂場の掲示板説明に、元治元年(一八六四)一月、高杉晋作の発議によって創建された招魂場で、慶応元年(一八六五)八月には社殿も造営され、招魂社としてはわが国最初のものといわれている。
創建当初は、文久三年(一八六三)五月十日に始まる下関攘夷戦において戦死した奇兵隊士の霊を弔うものであったが、後、小倉戦争(四境戦争)や北越戦争(戊辰の役)で戦死した者、さらには長州の尊王討幕運動に輝かしい名をとどめる吉田松陰、高杉晋作、久坂玄瑞、山縣有朋らの霊も加え、今日では三百九十六柱の志士がここに祀られている。
招魂社-Bこの招魂場のもつ尊い意味は、偉大な指導者吉田松陰から奇兵隊小者弥吉といった名もない者にいたるまで等しく祀られていることで、整然と立ち並ぶ霊標の姿は、奇兵隊における武士、町人の身分制を超えた新しい時代への理念を伝え、胸を打つものがある。
なお、この地は奇兵隊調練場跡でもあり、招魂場となって以後桜を植えたことから、桜山と呼ばれるようになったもので、下関市内の数多い維新史跡の中でも、ことに重要な意味を持つ聖地ということができる。
なかなか良い説明文ですね~!!
招魂社-A現代の格差社会を根本から見直し、豊かで楽しい日本の国づくりに、政治屋さん・・否、政治家さん頑張ってください。
我々もこれからの日本が・・そして、地方が豊かになるよう頑張りま~す。