白瀧稲荷大明神の準備に・・・

ここ最近、愚図ついた天気が続き・・今夜も冷たい雨に春は遠のくばかり・・・
2月14日今日はバレンタイン・デー・・・貰ったチョコを食べながらブログの更新。
またまた、体重計に乗るのが怖~い((+_+))
先週は何かと忙しい一週間でした。
寒波到来の中、大阪に出張、そして地元の生野神社の末社の白瀧稲荷の祭礼が今週末にあるので、日曜日に準備の手伝いに行って来ました。
白瀧稲荷-1みぞれ交じりの雨の中、近隣の氏子の先輩達と、白瀧稲荷の参道に幟を立て、飾り付けを致しました。
参拝客を迎える準備も万全で~す。!!
我社は生野神社の一の鳥居の近所にあり、住所も宮の下・・・氏神様として、若い頃から時間の取れる時にはお手伝いをしていました。
白瀧稲荷の祭礼は我社の会長の担当でしたが今年から私と代替わりすることに・・・
白瀧稲荷-2 生野神社の御祭神は応神天皇・仲哀天皇・神功皇后・宗像三女神(多紀理比売命・多岐都比売命・寸嶋比売命)彌都波能売神
由緒は第五十六代清和天皇、貞観二年(860)九月の創祀、当時京都大安寺の僧行教、天皇の勅命を受け、九州宇佐八幡宮に趣き、八幡宮の御分神を奉戴して、京都男山(今の石清水八幡宮)に皈る途中、当地が清地であり又、神功皇后ゆかりの地であることから、ここに仮泊し、御分神を奉祀したと伝えられています。
生野神社 又、古来武将の崇敬も篤く文禄元年豊臣秀吉、朝鮮の役に出陣の際、松の木を八本手植し、戦勝を祈願したと云う(落雷の為、大正六年県知事認可の上、処分、拝殿正面の奉納額、松皮はその一部として残っています)。
昔はこの附近数ヶ村の総氏神として、この地方の人々の崇敬は篤かったようです。
響灘に浮かぶ六連島も古くはこの神社の氏子でありましたが海上遠い為、昭和四年二月、この神社より御分神を勧請して六連島八幡宮を建立されました。
また、この神社の本殿裏側に横穴式石室を持つ前方後円墳があり、下関市の指定史跡となっています。
今週も何かと慌しい一週間になりそうな予感が・・・先週から社内で風邪が流行し、チョット心配ですが私が倒れるわけにはいかないので、気力で頑張ります。