第72回下関ふく供養祭が全国のふく業界の最後を締め括り、無事終了しました。
下関のふく供養祭は1930年(昭和5年)から始まった。
太平洋戦争が勃発した9年間は中断したが昭和51年から戦前の歴史を踏襲し、第12回供養祭として復活。
以来、ふくの季節の終わりと、初夏の訪れを告げる下関市の伝統行事として今日まで72回を数えています。
供養祭の会場は日頃エーカッ、エカエカッーと威勢のよい競りの声が響く南風泊市場のセリ場で行われ、特設会場の壁には全国から寄せられた花環がびっしりと並び(当社も花環を提供)、祭壇には最上級の天然とらふくが供えられ参列者全員が焼香、合唱し、「ふく殿」の霊を慰める。
この後、南風泊市場の岸壁で幼稚園児によるとらふく稚魚の放流が行われました。
この後、同会場で懇親会が開かれ美味しいふく刺しと、美味しいお酒をたらフク食べて、来季の豊漁を祈ってまいりました。
下関のふく供養祭は1930年(昭和5年)から始まった。
太平洋戦争が勃発した9年間は中断したが昭和51年から戦前の歴史を踏襲し、第12回供養祭として復活。
以来、ふくの季節の終わりと、初夏の訪れを告げる下関市の伝統行事として今日まで72回を数えています。
供養祭の会場は日頃エーカッ、エカエカッーと威勢のよい競りの声が響く南風泊市場のセリ場で行われ、特設会場の壁には全国から寄せられた花環がびっしりと並び(当社も花環を提供)、祭壇には最上級の天然とらふくが供えられ参列者全員が焼香、合唱し、「ふく殿」の霊を慰める。
この後、南風泊市場の岸壁で幼稚園児によるとらふく稚魚の放流が行われました。
この後、同会場で懇親会が開かれ美味しいふく刺しと、美味しいお酒をたらフク食べて、来季の豊漁を祈ってまいりました。