本州と九州を結ぶ・・・

ブログ更新が遅れて・・・今年に入って3月に従兄・6月30日には従姉・7月4日には我社の会長である兄が天国に召され、突然の悲しみが襲って気分的にブルーになっていましたがやっと精神的にも落ち着いたので、ボチボチ元気印を取り戻さないと・・・
また、7月からスタートしたロータリークラブのシャイな社長こと西丸年度の幹事としての仕事もスタートから欠席してしまったので、12日の例会から復帰して、シャイな社長を盛り立てていかなければと・・・・
HPの得々情報プレゼント企画の問題も更新しない状態で、楽しみにされていた方々から✉をいただき、今月は中止なのとの問合せ・・・ヨッシャ!!元気を出して問題を作成する気に・・・

本州と九州を結ぶ今昔

本州と九州を結ぶルートは船での移動しか出来ない状況が長く続き、明治になって荷役輸送は水車式航送船で貨車のまま門司に運んでいました。
水車式航送船は船体の両脇に直径4.5メートルもの水車をつけ、これを回しながら重い貨車を乗せて下関と門司の小森江を往復していた。
水車式航送船もともと本土と九州間の荷役運送は、下関と門司に荷揚場をつくり、貨車から艀(はしけ)へ積み、これを小さな蒸気船で引っ張って、また艀から貨車に積むという手間のかかる作業だったようです。
これを宮本高次という人が、苦心の末考案したのが、この水車式の貨車航送船で、明治44年10月から航行を始めました。
荷物の積みおろしはせず、貨車ごと航送する画期的なものだった。
現在、下関には本州と九州を結ぶ四つのルートがあり、関門鉄道トンネルは、わが国鉄道史上はじめての海底トンネルとして昭和11年9月着工、同17年開通したもので、下り線3614メートル、上り線3604メートル、海底部1140メートル。
国道トンネルの着工は3年遅れて14年4月、戦争のため工事が一時中止となったが、33年3月完成、海の中の国道ということで“青い国道”と呼ばれた。同トンネルは2階建て、上段が車道で下段が人道、延長3461メートル。
関門橋は、いわば海峡第3の道として48年11月14日開通、本州と九州をしっかりと結びつけた。
総工費約160億円、吊り橋で全長1068メートル、橋塔の高さは海面上41メートル、完成時は世界第10位の長大橋として内外から注目された。6車線、約1万6千台の車が往来する。海峡の橋にふさわしく、下関側には壇ノ浦パーキングエリア(PA)、門司側には和布刈(めかり)PAが設置され、観光価値も高く、11メートルごとにつけられた白色灯200灯の夜間照明が美しい。
新幹線が走る新関門トンネルも50年に開通、九州はもはや島という感覚が無くなり、それに伴い下関は本州の結節点から通過都市となってしまいました。
関門鉄道トンネル関門国道トンネル人道関門橋と関門海峡