12月に入って・・ふくの季節になりました。

12月に入って急に寒波が・・・愈々ふくのシーズン到来!!
本場下関ふくの歴史についてご紹介したいと思います。(*^^)v
【下関のふくの歴史】
山口県下関市安岡の潮待貝塚、また綾羅木郷遺跡から二千年以上前のものと思われるふぐの骨や土錘が発見されています。
古代より下関周辺に住んでいた人達は確実に二千年以上に及ぶふぐ文化の歴史をもち、こよなくふぐを愛したものと思われます。
時は過ぎ豊臣秀吉による全国ふぐ禁止令が公布され、誰もふぐを食べることが出来なくなってしまいました。
永禄の役の時、肥後名護屋城に向かう兵士たちが、下関でふくを食べ、毒に当たって死ぬものが続出したため、時の権力者、豊臣秀吉はふくの「禁食令」を出しました。
それ以来、武士は決して大っぴらに食べることが出来ない魚でした。
しかし、庶民の間にはふく食文化は根強く残り、江戸時代には武家には禁止されているにもかかわらず、食べられていたようです。
しかしこの禁食令は明治時代になつて初代内閣総理大臣伊藤博文が下関の春帆楼に訪れて禁令ではあったのですが、海がシケで止む得ず、ふくにて餐したところ此様に旨いものを禁止することは無いとの事で、全国に先駆けて下関の禁食令は解かれました。
袋セリ これを受けて下関唐戸市場では本格的にふぐの取扱いが開始されました。
現在に至っては、ふぐのせりは本州西の端関門海峡に面した南風泊市場にて行われ年間取扱高3.000トンにも達し、全国のふくの90%を集積する一大発信基地となっています。
また、袋の中で値段を決める全国唯一の袋ゼリはあまりにも有名です。【ふくの名前の由来】
古来、日本ではふぐのことを、布久(ふく)とか布久閉(ふくへ)などと呼ばれていました。
江戸時代には、ふく、ふぐ、ふくべ、ふくへ、ふくとう、などと呼ばれていました。
これは、いずれも腹をふくらます、ふくるるから由来しています。
英語でも、同じような意味から、globe fish、swell fish、などと言います。
又、水や空気を吹き出すから、pufferなどとも言われます。
現在、標準和名では、ふぐと書かれていますが、下関では、ふぐと濁らずに、ふくと呼びます。
下関では河豚のことを「ふく」と言います。
ふくは福につながるし、ふぐでは「不遇」あるいは「不具」といった語感になり……また処理した身をさらし(布)に巻いて一晩寝かせて刺身を引くので「布久」というのだと、色々な説があり、どれが本当かよくわかりません。
でも下関では通称ふくですし、ふくの町下関と言う言葉の響きは何となくハッピーな感じが致します。
このブログを見られた方はぜひ「ふく」と覚えてくださいネ。
我社も12月に入ってから、毎日ふくと格闘しています。