2015年のNHK大河ドラマに下関が・・・?

2015年のNHK大河ドラマの主演に井上真央さんが決まりました。
物語は幕末の討幕思想家・吉田松陰の妹・文の流転の人生を描くもので、タイトルは「花燃ゆ(はなもゆ)」です。
文は兄を斬刑で失い、兄の弟子だった長州藩士・久坂玄瑞と結婚しましたが、久坂は「禁門の変」に敗れて自刃、文は藩主・毛利家の奥女中として仕え、さらに明治になってからは群馬県令(官制知事)の楫取素彦と再婚して動乱を生き抜き、明治維新の志士たちを間近で見つめた女性を通して、激動の時代が描かれるようです。
文の夫であった久坂玄瑞は高杉晋作と共に、村塾の双璧と称され、松陰の死後、長州尊攘派の中心的人物として、その存在を天下に知らしめるに至りましたが、しかしながら、玄瑞もまた、志半ばにして、その短い人生を終えてしまいました。
久坂玄瑞久坂玄瑞は安政3年(1856年)17歳の時、藩に願い出て九州に3ヶ月間遊学。松陰の親友であった宮部鼎蔵を訪ねた際、吉田松陰に学ぶことを奨められ、初めて生涯の師となる松陰の名を耳にし、帰藩後、松陰に手紙を書き、吉田松陰と書簡のやりとりを行い、その1年後、18歳となった玄瑞は松下村塾へ入塾し、松陰の薫陶を受けることとなる。
松陰は久坂を「防長第一流の人物」であると高く評価し、高杉晋作と争わせて才能を開花させるようつとめた。
松陰は、自分の一番下の妹との結婚を玄瑞に勧め、安政4年12月、玄瑞は松陰の妹・文と結婚。時に玄瑞18歳、文15歳でした。
安政5年(1858年)江戸と京都に遊学。
安政の大獄による師・松陰刑死の後から、玄瑞は松陰の遺志を継ぐかのように長州藩尊攘運動の先頭に立ち活発に活動するようになる。
元治元年(1864年)6月池田屋事件の報が国許に伝わると藩内で京都進発の論議が沸騰。来島又兵衛や真木和泉らが諸隊を率いて東上。
真木和泉らと共に堺町御門で戦ったが(禁門の変または蛤御門の変)負傷して、同じ松下村塾塾生である寺島忠三郎と共に鷹司邸内で自刃した。享年25歳でした。
松陰から受け継いだ久坂玄瑞の思想と行動力は、坂本龍馬や中岡慎太郎をはじめ、多数の志士たちに大きな影響を与えました。
西郷隆盛は、明治維新の後、久坂玄瑞について以下のようなことを述べている。
「今、俺が少しばかりの手柄があったからといって皆にチヤホヤされるのは、額に汗が出るような気がする。もし藤田東湖先生や、久坂玄瑞、その他の諸先輩が生きておられたなら、とうてい、その末席にも出られたものではない。
それを、ああいう先輩方が早く死なれたために、俺のような者が偉そうに言われるのは、恥ずかしゅうてならぬ」(頭山満「大西郷遺訓」)。
また、第一次攘夷戦(下関戦争)おいて、攘夷の第一弾を放ったのは久坂玄瑞率いる浪士隊ですがこの一党(光明寺党)が居住していたお寺、光明寺は下関の駅近くの細江町の中通りに現在も当時のままの姿を今日に伝えています。
下関にお越しの時は是非、立ち寄って頂きたいですねぇ~!!m(_ _)m