地元の神社を紹介!!

3月がスタート・・愈々春本番となりました。
先般来、亀山八幡宮・中山神社を紹介しましたが、本来一番最初に地元の神社を紹介するのが筋でした。m(_ _)m
我社の直ぐ側に生野神社があり、今日はこの神社を紹介いたします。
この神社は、JR幡生駅の東北東500m程の辺りに鎮座しております。
由緒書に「昭和二十年旧生野村名並に往時の生野村総社の存命を以って幡生八幡宮を生野神社に改名する。」とあります。
御祭神:応神天皇・仲哀天皇・神功皇后・宗像三女神(多紀理比売命・多岐都比売命・寸嶋比売命)彌都波能売神
由緒
第五十六代清和天皇、貞観二年(860)九月の創祀、当時京都大安寺の僧行教、天皇の勅命を受け、九州宇佐八幡宮に趣き、八幡宮の御分神を奉戴して、京都男山(今の石清水八幡宮)に皈る途中、当地が清地であり又、神功皇后ゆかりの地であることから、ここに仮泊し、御分神を奉祀したと伝えられる。
又、古来武将の崇敬も篤く文禄元年豊臣秀吉、朝鮮の役に出陣の際、松の木を八本手植し、戦勝を祈願したと云う(落雷の為、大正六年県知事認可の上、処分、拝殿正面の奉納額、松皮はその一部である)。昔はこの附近数ヶ村の総氏神として、地方人の崇敬は篤かった。
響灘に浮かぶ六連島も古くはこの神社の氏子であったが海上遠い為、昭和四年二月、この神社より御分神を勧請して六連島八幡宮を建立されました。
生野神社-1生野神社-3生野神社-4

下関指定史跡の宮山古墳がありますがあまり知られていません。(*_*)
この古墳は神社本殿の裏にあり、西南に開くせん道から横穴式石棺をもつ前方後円墳です。
石室は明治四十二年(1909年)境内の敷地拡張中に発見された物で、全長三十三メートル、高さ二・八メートル石室の奥行三・五メートル、幅二メートルの規模です。
生野神社古墳-1生野神社古墳-3 生野神社古墳
市内には五基の前方後円墳がありますが、外の四基は綾羅木周辺の丘陵に築かれており、市街地で唯一の前方後円墳です。
石室の特徴から六世紀に築造されたと見られ、墳丘の葺石・埴輪等の遺物や、古墳の裾を巡る周濠等の遺構は確認されていませんが、全体の形は良く保存されています。
この神社の末社である白瀧稲荷神社の祭事のお手伝いを毎年させていただいております。
ブログを書きながら地元の由緒ある史跡をPRしなければと反省!!