文化都市下関・・・???

ブログで一度ご紹介しようと、前々から思っていたのですが・・・?
下関出身の文化人・芸能人が居ることをPR・・・自慢??林芙美子・古川薫・田上菊舎・藤原義江・二村定一・松田優作・細川俊之・山下真司・ロンドンブーツの田村淳・波田陽区など、まだまだメジャーが多数。
気が向いたときに少しづつ紹介しま~す。

もう、亡くなられている方ですが、今回私が関わっている会『田中絹代メモリアル協会』
田中絹代について少し、ご紹介しようと思います。

●田中絹代(1909年12月29日~1977年3月21日)

大正・昭和期の日本の女優・映画監督で、黎明期の日本映画界を支えた大スターであり、日本映画史を代表する大女優の一人で、また、日本で二人目の女性映画監督でもあります。
下関市の中心街・・丸山町に生まれ、裕福な家庭で何不自由なく過ごしていたが、父の病死・稼業が災難などに遭い・・・・生活が暗転・・・経済的困窮に陥り、小学3年生で母親の実兄を頼って大阪天王寺に移り住みました。

幼少時より琵琶を習っていた関係で、1924年大阪楽天地の琵琶少女歌劇の舞台に立ち、1924年に兄が松竹大阪支店で働いていた関係で、松竹下賀茂撮影所に入所し、野村芳亭監督の『元禄女』で、デビューし、まもなく、当時新進監督だった清水宏に『村の牧場』で主役に抜擢されました。
その後、五所平之助・溝口健二・小津安二郎・木下恵介などの監督作品に出演し、多くの賞を受賞しました。

特に上原 謙とのコンビで1938年に公開された『愛染かつら』は空前の大ヒットとなり、シリーズ化されました。

晩年、1974年に主演した熊井 啓監督の『サンダカン八番娼館 望郷』の円熟した演技は世界的に高く評価され、ベルリン映画祭主演女優賞、芸術選奨文部大臣賞を受賞しました。

田中絹代
このよに日本の大スターであった、田中絹代が幼少時代に育った、関門海峡の流れ・海の景色を忘れることができず・・・「死んだら、母の眠る下関に眠りたい」との希望通り、下関の霊園に埋葬されました。

下関では『田中絹代メモリアル協会』を設立し、遺品の管理、展示会等を開催し、田中絹代を末永く顕彰する活動をしています。

また、毎年3月21日の命日には市民墓参会『花嵐忌』を開催しています。

田中絹代の部屋